氷見の定置網

TEICHIAMI

TEICHIAMI

定置網とは

定置網漁業は、海に固定された網の中へ魚群が入ってくるのを待つ漁法です。
身網の深水が27メートルより深い大型定置網と、それよりも浅い小型定置網に分けられます。

定置網の構成

  • 垣網:魚道を遮断して魚群を囲い網へ誘導する網
  • 囲い網 (角(かく)戸(と)、運動場):誘導された魚群を一定の範囲に囲んで
    行動を制限し更に箱網(はこあみ)に誘導する網
  • 箱網 (主網(おもあみ)、身網):入った魚群を最終的にとり上げる網
  • のぼり網:いったん箱網に入った魚群が逃げるのを阻止する網

定置網の入り口は常に開いているため、網に入った魚の3割程度しか漁獲できません。
加えて、定置網に貝や海藻が付着することで、小魚が群がったり、魚やイカが卵を産み付けたりと、魚礁の役割を果たし、漁業資源を増やし、生物多様性にも寄与しています。また、定置網漁業は他の漁法より漁船の燃料消費が少ない環境に優しい漁法です。
このように、定置網漁業は資源保護や生物多様性に寄与し、環境にやさしい持続可能な漁業として、世界でも関心が高まっています。

HIMI-TEICHIAMI

氷見の定置網

氷見では、定置網漁業に適した地形や回遊魚が通る良好な漁場が地先にあったため、400年以上前から定置網漁業が盛んに営まれています。

約20kmの沿岸海域に大小29基の定置網が敷設されており、
国内の定置網漁業が盛んな他の地域と比較しても、定置網が高密度に敷設されています。
総漁獲量に占める定置網漁獲量の割合も、約96%と極めて高くなっています。

定置網の敷設運営に集落単位で密接に関わっています。
かつては地域の有力者が中心となり、地域住民の労働によって定置網を運営していました。
現在、全国的には法人企業が運営する定置網が多くなっていますが、氷見では各個人の出資者が集まる任意の組織での運営が多く、地域の定置網漁業を支えています。
また、沿岸部の多くの集落が半農半漁であり、季節ごとに行われる陸域での農作業や林業、地域活動・行事等も定置網漁の存続を念頭においた活動として今日に受け継がれています。

市内には漁業拠点となる漁港が7つ立地しており、それぞれの漁港から船で約20分の距離に定置網漁場があるため、
船の燃料の消費が少なく、新鮮な魚が水揚げされます。
加えて、漁場は毎日自宅から通える距離のため、漁業者にとっても負担が少なくなっています。

氷見の定置網漁業は、地域の基幹的な漁業として水産加工業や流通業などの発展を支え、地域の雇用の創出にもつながっています。
さらに、氷見には加工品店や鮮魚店が並び、「魚のまち」として広く認知されており、国内だけでなく海外からも多くの観光客が新鮮な魚を求めて氷見を訪れています。

氷見の定置網技術は、出稼ぎ漁などで各地に伝播されたことにより、全国で操業されている定置網モデルの一つとなっています。
また、2002年の「世界定置網サミットin氷見」の開催や「JICA国際協力」による海外からの研修生の受け入れ、タイやインドネシア、コスタリカでの定置網漁業の技術指導などの国際交流を通じて、持続可能な定置網漁業の海外への普及に取り組んでいます。

TERRAIN

氷見の地形

海流の流れ

氷見市は富山県の北西部、能登半島の基部に位置し、能登半島と立山連峰の間に広がる富山湾は、本州沿いに南下する回遊魚にとって能登半島が魚の進路に立ち塞がる障壁として作用し、好漁場となっています。
また、能登半島の南東側に位置する氷見市は、冬の北西の季節風による波浪の影響も少なく、一年通して定置網による操業が可能です。

富山湾の地形

富山湾は、海岸から深海まで一気に落ち込む急峻な地形が特徴で、深いところでは水深1000メートルを超えます。
氷見市は、富山湾の中でも大陸棚が広いことが特徴で、定置網を敷設できる水深帯や大陸棚から一気に深く落ち込む「ふけ」が多く、高密度に定置網が敷設されてきました。この「ふけ」は、魚の通り道であり優良な漁場となります。

魚つき保安林

人々に大切に守られている沿岸部の「魚つき保安林」や山々、水田から流れ出る雨水や雪解け水は、市内の河川を伝い、栄養塩類などをたくさん蓄えた状態で海に流れ、魚の生育場となる藻場の栄養となり、魚の餌となるプランクトンを増やす役割があるとされています。

DEVELOPMENT

氷見の定置網技術の発展

氷見の定置網の歴史は、「台網」からはじまり、幾多の改良を重ね、現在全国に敷設されている落し網構造の定置網のモデルとなった「越中式鰤落し網」へ発展してきました。

台網(江戸時代)

氷見の定置網漁は、江戸時代の「台網」が始まりとされています。「台網」は、魚をとらえるための入り口が大きく開いた袋状の身網と回遊してきた魚群を身網に誘導する垣網(磯垣網)からなり、藁縄を編んだ藁網を使っていました。

麻苧台網(江戸時代後期)

氷見の定置網漁は、江戸時代の「台網」が始まりとされています。「台網」は、魚をとらえるための入り口が大きく開いた袋状の身網と回遊してきた魚群を身網に誘導する垣網(磯垣網)からなり、藁縄を編んだ藁網を使っていました。

日高式大敷網(明治40年代)

「日高式大敷網」は、宮崎県から伝播した定置網で、大境沖に導入したのが始まりです。従来の主流であった「麻苧台網」の専有水面の面積が600~700坪だったのに対し、「日高式大敷網」は10,000坪に及ぶとされ、極めて大型の定置網でした。「日高式大敷網」は豊漁となったことから、氷見での他の定置網も切り換えが進み、網の大型化とともに、「麻苧台網」が整理統合されていきました。

上野式大謀網(大正時代初期)

「日高式大敷網」は、網口が大きく開いているため、一度入網した魚が逃げやすいという欠点がありました。この欠点に対し、阿尾村の上野八郎右衛門が、「日高式大敷網」を改良し、網口を比較的小さくして魚が回遊する溜まり場(運動場:角斗網)を設けた「上野式大謀網」を考案、導入し、これにより漁獲効率を高めることができました。

越中式鰤大敷網

上野八郎右衛門は「上野式大謀網」の角斗網に入った魚群が逃げ出すことがあったため、角斗網に底網を取り付け身網と連結した「越中式鰤大敷網」に再改良しました。

越中式鰤落し網(大正時代後期)

定置網が大型化することで網取りに長時間を要したため、身網の口に傾斜をつけた網で海底近くにいる魚を網の中に誘導するのぼり網、ハの字形の網をつけて魚を出にくくした網を設けた落し網構造の「越中式鰤落し網」に改良されました。

越中式鰤落し網(二重落し)
(昭和40年代以降)

「越中式鰤落し網」の生産性の向上(漁獲性能を維持しながら網起こし作業等の効率化)を図る目的で、身網の先端に網目が細かく比較的網深さの浅い小型の身網を連結した「二重落し網」が考案されました。

FISHING

氷見で漁獲される魚

天然のいけすと呼ばれる富山湾からは、春にはイワシ、夏にはクロマグロ、秋にはカマス、フクラギ(ブリの幼魚で体重500g~1kg)、冬には「ひみ寒ぶり」など、四季を通じて約300種類の魚が水揚げされます。
この豊富な魚を傷つけることなく、キトキト(新鮮)な状態で水揚げできるのが、400年の歴史を持つ「越中式定置網」です。
獲れた魚を沖合ですぐ水氷でしめ、瞬時に仮死状態にし、定置網から漁港まで20分と近いため、新鮮な魚が水揚げされ、キトキトで美味しい魚を味わうことができます。

氷見の旬の魚

春(3〜5月)

イワシには、マイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシの3種類があり「氷見鰯」として全国的にも有名です。水産加工品としても重宝されるみりん干し、丸干しイワシ、煮干しとなっています。その他、サバ、クロダイ、ホタルイカ、サワラ、ヒラメ、マダコなどがとれます。

夏(6〜8月)

マグロは世界の暖海全域に分府し広い範囲を回遊します。氷見沖では、夏のマグロシーズンに向け、マグロ網(夏網)定置が仕掛けられます。マグロの若年咲魚のメジマグロは11〜12月に捕獲されます。その他、マアジ、トビウオ、タチウオ、ガザミなどがとれます。

秋(9〜11月)

カマスは秋の訪れとともにやってきます。塩焼きはもちろん、一夜干しにしたものも美味しいです。また、秋は魚種が一番多い季節でもあり、ブリの一歳魚のフクラギやアオリイカ、ソウダガツオなどいろいろ。その他、シイラ、カタクチイワシ、ヒラマサ、メジナ、キハダ、クルマエビなどがとれます。

冬(12〜2月)

初雪が降る頃、寒ブリ漁は最盛期を迎えます。ブリが夏に北上し冬に南下する回遊を繰り返し、富山湾では産卵前の脂ののったものがとれます。その他スルメイカ、マダラ、サバ、メジマグロ、ヤリイカ等がとれます。

氷見の食文化

氷見は、海だけでなく、美しい山並みに囲まれた田園と里山が広がり、氷見牛、氷見米など、四季折々の山の幸、里の幸があり、これらの料理にあう地酒やワインと一緒に美味しく召し上がっていただくことができる、豊かな食文化に彩られたまちでもあります。
寒ぶりは、氷見の人にとっては気軽に食べられる魚というより、高級な贈答品として認知されています。
例えば、「嫁ぶり」は嫁いだ年に実家から嫁ぎ先へのお歳暮として、寒ぶりを丸々一本贈る風習で今なお残っています。「嫁ぶり」を受け取った嫁ぎ先は、ブリの半身をお返しするとともに、近所や親戚にブリの切り身をお裾分けし、みんなでブリを味わいます。
ブリは、氷見の人々にとって大事な特産物であるだけでなく、文化であり、生活の一部です。
今も郷土料理のブリ大根(あら)をはじめとして余すところなく食べられているほか、氷見の名産であるイワシやイカなどを使った伝統料理も数多くあります。

CONNECTION

農林業との結びつきや
地域への経済効果

氷見では、漁業と農林業を関連させながら、互いに補い合うような半農半漁のくらしが営まれてきました。
氷見における農業は、積雪や中山間地域が多いことなどにより、周年を通した安定的な生産が難しいですが、沿岸部は定置網漁場として大陸棚の発達や冬でも操業できるなど条件に恵まれていたため、定置網漁業の収益により農地を開拓することで、米や野菜を栽培してきました。
また、三方を山に囲まれた氷見では、古くから木は建築用材以外にも様々な方面に利用され、沿岸部では山の木材を使用して船を作り、漁業を行っていました。また、富山県内の約97%を占める魚つき保安林は、森林が豊かな漁場形成に重要な役割を果たしていることを住民が認識し、大切に守ってきました。 こうした営みの中で、かつての定置網漁具は、網材として藁、浮き材として杉や桐、孟宗竹を使用してきました。

一方、定置網漁業で漁獲されたイワシ類は、肥料として地域内の農地に利用されました。
このように漁業と農林業との関係は強く結びつき、地域内での経済循環が形成されていました。
現在は、定置網漁業と農林業の関係は変わりつつも、漁業者による植林活動を通じて海岸近くまで森があり、農業者によるため池・水路の整備や管理、環境保全の取組を通じて栄養塩類の豊富な水が海域まで流れることにより、陸域と海域のつながりが維持されています。

 

また、氷見の沿岸部には海上安全や豊漁の神である「えびす神」や「金毘羅神」を祀るえびす堂や金毘羅堂が数多く点在し、えびす祭や金毘羅祭、起舟祭など地域の特徴に根差した祭礼があり、漁業者だけでなく地域の人が大漁や海上安全などを祈願しています。

一方、定置網漁業で漁獲されたイワシ類は、肥料として地域内の農地に利用されました。
このように漁業と農林業との関係は強く結びつき、地域内での経済循環が形成されていました。
現在は、定置網漁業と農林業の関係は変わりつつも、漁業者による植林活動を通じて海岸近くまで森があり、農業者によるため池・水路の整備や管理、環境保全の取組を通じて栄養塩類の豊富な水が海域まで流れることにより、陸域と海域のつながりが維持されています。

氷見の沿岸部には海上安全や豊漁の神である「えびす神」や「金毘羅神」を祀るえびす堂や金毘羅堂が数多く点在し、えびす祭や金毘羅祭、起舟祭など地域の特徴に根差した祭礼があり、漁業者だけでなく地域の人が大漁や海上安全などを祈願しています。

氷見では、定置網漁業により水揚げされた鮮度・品質の優れた魚は、こんか漬けやミリン干しなどの水産加工業にも利用され、付加価値を向上させて販売されています。新鮮な魚料理を目玉にする旅館や民宿なども多く、氷見の魚を求め大勢の観光客が訪れるなど、氷見の経済を支えています。